こんにちは☆

プロフィールをご覧いただきありがとうございます!このサイトを運営している、元パティシエアフィリエイターの優月です。

旦那さん、2010年生まれの男の子、2016年生まれの女の子、シェルティ、オカメインコ4羽、フクロモモンガと暮らしている、どこにでもいるアラフォーの主婦です。

ネットビジネス歴は現在8年目、紆余曲折を経ながらもネットビジネスで1,000万円以上を稼いでいます(*”▽”)

「紆余曲折」と書きましたが、私が紆余曲折してきた一番の理由は「独学」でネットビジネスを学んできたからです。

様々な優秀な教材が販売されているのですが、最初に詐欺教材を手にしてしまったことで教材購入が怖くなり、独学できたのです。

また、元パティシエなのでPCの知識もありませんでしたが、「自力で稼げるようになって生活を変えたい!」と強く願い努力した結果、その願いをかなえる事が得きました。

だから、私のサイトを訪れてくれているあなたも、強く願い「正しい方法で行動」することで、必ず人生を変えることができますよ!

ここでは、私のプロフィールと紆余曲折ストーリーを紹介します。長くなってしまいましたが、是非最後までお読みくださいね☆

STORY1:生い立ち

私が生まれたのは山梨県の田舎町。父・母・姉・弟、そして祖父・祖母・曾祖母の賑やかな8人家族でした。

祖父の代から家業として染め物の会社を興していて、自宅の隣に工場があり、そこで父・母・祖父・祖母は働いていました。つまり、家にはいつも家族の誰かは必ずいるという恵まれた家庭環境でしたが、私には大きな不満がありました。

それは、長女である姉、長男である弟は俗にいう「箱入り」として可愛がられ、次女の私はいつも姉のお下がりばかり着せられていて…

「早く自分で稼げるようになって、この家から自立したい!!」

子供ながらにそういう野望を持ち、過ごしていました。

しかし、それは後々私の性格を決定づける大きなポイントになっていて、今の自分のハングリー精神の源はそこにある!と思うので、結果的に良かったと思っています。

「箱入り」で世間知らずの姉・弟を横目に、親の注目を引きたくていたずらばかりしていました。

でも、怒られるだけで・・・

そんな私を両親が唯一褒めてくれたのが「テストの結果」でした。

勉強を頑張れば、褒めてもらえる。幼いながらに、コツコツ勉強を重ねていきました。何かとナイーブな幼少期の私の心の支えだったのが「小鳥さん」です。

家では文鳥やセキセイインコを飼い、双眼鏡を持って山に入りバードウォッチングが大好きでした。

これは今現在オカメインコを4羽飼育していて、ブリーディングも視野に入れていることにも繋がっていることになります。

こうして振り返ってみると、幼少期の自分と今の自分は重なることがとても多く、根本的には変わっていないんだなぁと感じます。

そして結婚して子供を2人授かった今思う事は、子供がいつ帰ってきても家で待っていてあげたい。ということです。

私が育った環境はそれが当たり前で、家にいる時間もワイワイ楽しくて。そんな当たり前の日常だった環境を、子供達にも用意してあげたい!

それが、私がネットビジネスを続ける大きな理由の1つです。

STORY2:パティシエになりたかった理由

「早く家を出て自立したい!」

そう思っていた私が選んだ進学先は、実家から電車で片道1時間ほどの東京にある製菓専門学校でした。製菓を好きになったきっかけは、小学校3年生の頃に母が誕生日に作ってくれたスポンジケーキにあります。

適当な性格の母はお菓子の本を適当に読んで、適当に作りました。

私が「お母さん、そこはこう書いてあるよ!」と忠告しても聞いてもらえず・・・

出来上がったのは、ペシャンと潰れた焦げ臭い物体でした。

そこに生クリームを塗ろうとした母を静止し、「私が作るから!」と私1人でスポンジケーキを作り直しました。

もちろん、小学3年生の女の子が本を見ただけで作ったスポンジケーキは「母のものよりマシ」なレベルでしたが、本人的には大満足。

ここから「お菓子」が私のアイデンティティの1つとなっていき、週末になるとお菓子作りをすることが習慣となりました。

「好きなこと」が見つかり、水を得た魚のようにイキイキとしている自分、私ケーキ屋さんになるんだ!そう心に決めていました。

地元の普通高校を卒業し、私が進学した製菓学校は東京にあるとても有名な専門学校です。

学費は1年間で260万円。
専攻1科目:25万円×2。

まぁ、私立大学に行けばこれくらい当たり前にかかるのかもしれませんが、1年間の専門学校でこれだけの料金がかかりました。

当時の私は「子供が行きたいって言っているんだから、親は出すのは当たり前」という考えで特に感謝もしませんでしたが・・・

今、子供にこれだけの金額を払うとなると、「えぇー!?1年で!?」と思ってしまいます。

そう考えると、何も言わず黙って好きなことをさせてくれた両親に感謝すると共に、
私もそんな親でありたいという願っています。

STORY3:パティシエのお話し

専門学校を卒業した私は、都内の有名なレストラン会社へと就職します。

パティシエの仕事は朝早く夜遅いので、必然的に一人暮らしをするために実家を出ることになりました。

専門学校が1年間だったので、19歳で念願の自立です。

自分のお給料で自分の部屋を借りて、自炊する。何もかもが新鮮で、楽しかった記憶があります。

「パティシエ」というと、凄く女性らしくてふんわりしたイメージを持たれることが多いのですが…実は男社会のガテン系です。

テレビで見かけるような有名パティシエはほとんどが男性のように、女性にはかなり過酷な労働環境でした。

お給料は安いし、労働時間は長い、休みはない。3低ってやすね(-_-;)

それでも、頑張れたのはやはり子供の頃からの夢だったからです。

パティシエ時代のエピソードを1つお話しすると…現場に入り、いよいよ先輩が商品となるお菓子作りを教えてくれる!となった時。ものすごーく嬉しかったのを覚えています。

そして先輩が実演しながら教えてくれた時、「しっかりメモ取らなくっちゃ!!」と、メモを取りまくりました。

それを見た先輩は、大激怒。「メモなんかは必要ない、まずは流れと作業を頭に叩き込め!」と。

パティシエは事務作業ではないので、まずは先輩の作業を見て一連の動作を頭に叩き込め!ということだったんです。

今となればごもっともな事だと思うのですが、当時の私にはまだそこまでの感覚がなかったんですね。

その後、私も教える立場になり、全く同じことをしていた後輩を見て何と言葉をかけたらいいのやら・・・と悩みましたが、「後でいくらでも説明するから、まずはじっくり見ててね」と話した記憶があります。

もちろん、先輩から1度教えてもらえたからってすぐに任せてもらえるなんてことはありません。

繰り返し、繰り返し先輩の技を見てこのケーキには何と何の道具が必要で、何の材料が必要で、オーブンは何度で何分で・・・ということを覚えた頃に、やっと作らせてもらうことができました。

パティシエやエステティシャン、美容士さんなど一見女性らしくて華やかそうなお仕事は、
実は意外と女性には過酷な職業ですが、やはり好きなことを仕事にできたことは幸せだと思っています。

STORY4:ネットビジネスをはじめたきっかけ

そんなパティシエだった私がネットビジネスをはじめたきっかけは何だったのか?
お話ししていきたいと思います。

私が「アフィリエイト」をはじめてやったのは、1999年。

「IT系」とか「パティシエ」とか、今までなかった言葉が浸透し始めてきた頃ですね。

大学生の彼がいたのですが、急に「好きなことをしている優月を見ていると、
俺も大学をやめて自分の好きなことをやりたい」と。何をやりたいの?と聞いたら「WEBデザイン」と。

その辺の知識は当時全くなく「ふーん。IT系ってやつ??」くらいの感覚でした。

そして彼は大学を辞め、バイトをしながら夜間のWEBデザインの学校に通い、気付けば私の家に転がり込んできて、私が養っていました。

それから、彼との会話が圧倒的「IT用語」が増え、部屋には彼のパソコンが3台もあり、
プログラミング用語やら、デザイン用語やら・・・気付いたらやってもいないのに、「知ってる言葉」が増えていきました。

そこで、自分でドメインを取ってサイトを作ってデザインしてみる!という彼の学校の課題を一緒にやってみることに。

私の方のサイトは自由だから、「せっかくだからアフィリエイト広告を貼ってみたら?」
その彼からの言葉が、私のアフィリエイト人生のスタートです。

当時はアフィリエイトなんてほとんど知られていなかったですし、サイトも今みたいに綺麗なものが簡単にできる訳ではなく、HTML.CSSを打ち込んで作るという、今となっては原始的というか、基礎的な方法でした。

A8と楽天アフィリに登録し、広告をペタリ。

収益はいくらかは発生した記憶がありますが、何分忙しいパティシエでしたし、当時はそこまで強い興味を持っていた訳ではなく「彼の勉強のついでに・・・」という感じでしたので、サイトを熱心に更新していくような事もしませんでした。

それから何年か時が経ち・・・彼がWEBデザイナーとして、日本一、二を争う大手メディア企業に就職し、激務が始まります。

終電を逃すことも日常茶飯事、休みもなく。そして私も放置、となり。私が元々男友達も多いせいか?出歩くことで浮気を心配され、

「ライブチャットっていうサイトがあって、男性と話しているだけでお金が稼げるらしいから、俺が仕事でいなくて暇な時にやってみたら?」

と勧められ、なんじゃそりゃ?でも面白そう!!とスキマ時間で始めみることに。

元々お酒好きで、おじさん友達と飲みに行くのも好きだった私は、夜な夜なお酒を片手にPCの前へ。

知らないおじさま達と画面を通してワイワイ楽しい時間を過ごしていました。

そして気付いたら、そのサイトのナンバーワンになっていて、月に70万円ほどを稼げるようになっていました。

あ、私全然美人じゃないですよ。むしろ、「普通だったから話しかけやすかった!」
おじさま達も言ってましたから。しかし、突然そのサイトがアダルト化することに。

サイト運営人からは、「アダルトにも出てくれるならプロモーションを打つし、今の3倍は稼げるはず!!」と引き留められましたが・・・

アダルトは全く興味ないし、ちょうどライブチャットもやめようと思っていたので、いい機会だと思い、スッパリ足を洗いました。

このライブチャット経験からわかったことは、「ネット上にはお金がいっぱい落ちてる!」
ということでした。

メディア企業に就職した彼もメキメキと頭角を現し、誰でも知っているIT系社長から可愛がってもらえるまでになり。私も今でもテレビで見かける社長さん達に、飯をご馳走になったこともあります。

彼との付き合いは8年目になり、そろそろ私もお年頃。

ふとそんな事を考えると、私、彼と結婚したいのか??と自問自答するようになってしまいました。ずっと結婚したくて一緒にいたはずなのに、

「IT系はこれから儲かる!しかも出世街道をひた走って、仕事マシン化している!将来有望!!」

で?だから??と、自分の気持ちがわからなくなっていた所で、プロポーズされ、即答できずにお断りすることに。

その彼は、現在IT社長としてやや有名になっていているので、良かったねぇ。と母のような心境です(笑)

結果的にご縁はありませんでしたが、こうして今でもネットビジネスに関わっているのは、
彼からの影響が大きかったんだな、と感じています。

STORY5:結婚後もネットビジネスで稼ぐ理由

その後、今の旦那様と知り合い、結婚・出産を機にネットビジネスの深みにはまっていきます。

その理由は、我が家ではお金の管理は主人で、私の自由になるお金がない!からです。

主人は、外資系大手金融企業勤めで、年収は高めなのですが、私が毎月もらえる生活費は8万円。(食費・雑費・私のお小遣い)

子供が生まれてオムツ代、ミルク代がかかるようになっても、ご飯を食べるようになり食費がかかるようになっても、「8万円でやりくりできるはず!」と。

なんとかなる、と言えばなんとかなるけど、正直カツカツで、自分のお小遣いとして使えない・・・そんな時に「もっと増やして!」と言えればいいのですが、そう簡単に言えない理由がありまして。

私の主人は、バツイチでして。私と知り合う3年くらいには離婚しているのですが、
前妻さんは結婚後、買い物依存症になってしまい、離婚時にはショッピングクレジットで借金200万円。

もちろん、貯金もゼロ。

子供もおらず、分与できるものもないのでサッパリ離婚したようですが、やっぱりトラウマになってしまっているようでした。

そんな話を聞いていたので、私もそれは了解しなんとかやりくりして行こう!と思ったのですが・・・

やっぱり使えるお金が少ないことがしんどくて、なんとか自力で稼げる方法を模索し始めました。

まだ息子が6ヶ月になったばかりで、外に働きに行くことは現実的ではないし。

うーん、この何か稼げる事はないかな?と思い、ネットで検索してみると・・・

【銀行員が作った、知識がなくても稼げる方法】という情報商材をインフォトップで発見!何だろう?と覗いてみると・・・

「現役の銀行員が作った、正当性・実現性が高く、素人でも簡単に稼げる方法を公開!主婦でも在宅で毎日楽々収入が得られる!」

何それ?凄くない??と強い興味を持ってしまい、勢いでポチッと購入。確か、3万5千円くらいだったと思います。

しかし、中を見てみたらペニオクでアマゾンギフトカードを転売して利益を得る、という
詐欺商材とまでは言えないですが、再現性は低く、収益も上がらない方法で・・・

うっかり「銀行員が作った」というキャッチフレーズを信用してしまいました・・・

購入前に販売者に連絡を取ったりもしたのですが、購入後はメールを送っても一切返事は来ず。

あー、やっちゃった・・・という感じでした。

でも、何故だかそこで火がついてしまい、「よし!絶対無駄に使った分を取り返すぞー!!」と、色々検索しまくりました。

そしてやっと、「アフィリエイト」という言葉にたどり着きました。

情報販売のサイトではなく、個人のサイトだっのですが読み進めていくと、
アレ?私これやったことある・・・!!と、ここでやっと元彼と作ったアフィリエイトサイトのことを思い出しました。

2011年1月、こうして、自己学習で始めるネットビジネスが始まりました。

STORY6:私がネットビジネスでやってきたこと。

ネットビジネスで稼げるようになり、気付けば

アドセンス累計:260万
楽天累計:280万

の収入をあげてきましたが、私も紆余曲折があったのは事実です…。そんな私がネットビジネスでやってきたことを紹介していきますね。

当時はアフィリエイトを押してくれる情報商材を知らなかったから、教材は買わずに、ネットで調べながらはじめていきます。

・2011年1月:SIRIUS購入

手法:サイトアフィリ、ASP:A8

当時、ワードプレスという知識は全くありませんでしたし、以前HTMLを作った経験があったことから、まずはSIRIIUSを購入し、サイトアフィリを始めます。

ジャンルは美容系。1アイテム1サイト×10ページほどで、5サイトくらい運営しますが
キーワード選定、ライティング知識も皆無なため、

月にたまたま1万円稼げればやったー!!という位でした。息子がお昼寝の時間にちょいちょいやるくらいで、まだそんなにのめり込んで作業したり勉強はしていませんでした。

その理由は、だんだん息子が活発になり育児が大変になってきたからです。

・2012年1月:ワードプレスを知る→ワードプレスへ

ASP:インフォトップ
ネットで検索をしている時に「ワードプレス」という言葉を知り、色々検索してみると、SIRIUSより使いやすそう!ということがわかり、早速手持ちのURLでワードプレスサイトを作ってみる。

サイトアフィリより、ブログタイプのパワーブログの方がいいらしい!とわかり、バストアップのパワーサイトを立ち上げる。

・2012年5月:アドセンスを知る

たまたまネットで何かを調べてみてた時に、アドセンスを知る。調べてみると、ワードプレスとの相性が良さそう!と思い、審査ブログの書き方をネットで調べて書いて一発合格。

・2012年8月:アドセンスアカウント停止

バストアップサイトにアドセンスを掲載し、収益が月に5000円ほど発生するようになってきた頃、メールが届き「違反行為があるのでアカウント停止」と。

なにそれ?と、わけがわからず、

アドセンス広告を全部外す→アカウント停止解除

今思えば、性的描写や性を連想させる画像の掲載があったのでそりゃ停止になるよ?と思うのですが、当時は知識がないため「アドセンス、使いにくいな・・・」となり、アドセンスから離脱。

その後、またSIRIUSでサイトアフィリをしたり、ワードプレスで腰痛系のサイトを運営したりしていましたが、とにかく鳴かず飛ばず・・・

・2013年1月:ペラサイトアフィリを開始

ASP:インフォトップ

「ガッツリ稼ぎ隊」という、無料ブログでペラサイトを作る!というサイトを発見し、掲載されている無料の情報でペラサイトアフィリに挑戦。

「今だけ無料公開中!」とかの誘導系の言葉でボタンを作成し、そこにリンクを貼っておくということ。

このペラサイトで始めて月収10万円を突破!

ただし、やはりこのペラサイト手法は量産し続けなければいけないデメリットと、googleからの取締りが厳しくなり、だんだん稼げなくなり、いつの間にかフェードアウト。

・2014年7月 育児・グルメブログ運営開始

ASP、楽天アフィリエイト

息子が3歳になり幼稚園に通い始めて日中時間が持てるようになり、何かちゃんとサイト運営ができるものはないか?と考える。

実は2012年に流産を経験していて、そろそろもう1度チャレンジしてみよう!と思っていたので、出産準備や育児系のサイトを運営することに。

ASPはベビー系の商品が豊富で紹介しやすい楽天アフィリエイト。

サイト運営3ヶ月で報酬20万円を突破!

・2014年12月:アドセンスを思い出した!

すっかり忘れていたアドセンス。

たまたま開いたアドセンスのページに、「関連広告が掲載できます」との表示が。
何だろう?ま、ちょっと載せてみよっかな?と思い、育児ブログに掲載してみると、
あれよあれよという間にアドセンスだけで10万超え!

なんだ?もっと早くにアドセンスも入れておけばよかった!!ここでやっと、楽天アフィリ×アドセンスのハイブリットスタイルを確立!その後も外注さんを入れたり、サイトの強化をはかり、

最大6000pv/日、最高月収30万円まで成長。

主人からも「頑張ったな!」とはじめて褒められ、お金が足りない!という不満からも解消され、やっぱり、お金は心を豊かにしてくれる要素もあるんだな、と痛感しました。

STORY7:流産と不育症と現在のわたし

先ほど2012年に流産、と書きましたが2014年にも2回目の流産を経験しています。

2回とも心拍確認後、流産しにくいとされている13週以降での流産だったため、
医師より不育症の可能性を告げられます。

そこで、日本には3つしかない不育症専門クリニックで検査を受け、不育症が確定します。

育児ブログを更新するのも精神的にきつくなってしまい、しばらく放置。

もう2人目は諦めよう…そう思った時、息子に

「どうして僕だけ1匹なの?僕もきょうだいが欲しいよぉ…」

と泣かれ、治療を受けてもう1度だけチャレンジしてみることに!

不育症と不妊症はよく間違えられやすいのですが、私の不育症は自力での妊娠は可能です。

妊娠後、赤ちゃんを遺物とみなす抗体が働き、胎盤に血栓を作って血液の流れが止まってしまい、結果的に赤ちゃんが栄養不足で亡くなってしまうという症状です。

つまり、妊娠しても妊娠継続ができない、ということですね。

長男は何の問題もなく生まれたので、出産後に体質が変わった、ということみたいですが
不育症そのものの原因は不明です。

私が受けた治療は血栓を作らないための薬を妊娠前から35週目まで毎日飲み続けること、でした。

そして、2016年念願の妊娠。やっと授かって、魔の13週を超えられた赤ちゃん。妊娠自体、これでもう最後。と決めていました。

既に形がある赤ちゃんの流産は、本当につらくて。しかも私の持っている抗体のせいで・・・もう、これ以上耐えられれる自信はありませんでした。

長男も年中さんになり違う意味で手がかかるようになってきたこと、生まれてくる赤ちゃんとの時間を取りたいこと、を第一に考え出産から2年間はネットビジネスをお休みする事を決意!!

育児ブログに2年分の予約記事を投稿し、2年間の育休に入ります。

2016年10月、無事に長女が誕生。医療の進歩に感謝してもしきれません。

育休中も予約投稿記事が仕事をしてくれ、20-30万の報酬発生してくれました。2018年10月に2年間の育休を終えて、再びネットビジネスの世界にもどりました!

そして、今まで挑戦しなかったトレンドブログをはじめて開始します。今では、リアルタイム1800、1万4000PV/日を出せるようになり、日々勉強と実践を繰り返しています。

このように、私はネットビジネスをはじめてすぐに稼げるようになったわけではないのですが、紆余曲折をしてきたからこそ得られた知識もたくさんあります。

それを活かして、このブログに訪問してくださる方に有益な情報をお届けしていきたいと思っています☆

・・・今文字数カウンターを見たら9185文字(゚д゚)!

長々お読みいただきありがとうございました☆

2019年7月30日 優月